女性による、女性のためのジュエリー

品川の天王洲で、12月1日まで、マドモアゼル プリヴェ展が開催されています。「マドモアゼル プリヴェ」とは、パリのカンボン通り31番地のブティックの4階にある、マドモアゼル シャネルのアトリエ入口に掲げられたプレートに記された言葉です。これをタイトルに冠したエキシビションは、ロンドンを皮切りに各地を巡り、東京は5回目。マドモアゼル シャネルに始まり、現在まで受け継がれる3つのクリエイションーーオートクチュール、フレグランス、ハイジュエリーに着目し、マドモアゼルが愛した色彩のイメージごとに作品を紹介しています。 なかでも私は、マドモアゼル シャネルによる最初のダイヤモンド コレクションの復刻に注目したいと思います。

シャネルのジュエリーコレクションがいつスタートしたか、ご存じでしょうか。その答えは1932年。デビアス社の依頼により、マドモアゼル シャネルのデザインによるダイヤモンド コレクション”BIJOUX DE DIAMANTS “が発表されたことが、ジュエリーとの関わりの始まりでした。これは彼女にとって最初で最後のハイジュエリー コレクションですが、当時の既成概念を覆すような大胆で独創的なデザインは、革命的といえるものでした。彼女がめざしたのは、しなやかで軽やかなフレームや目立たない留め具を備え、さまざまな纏い方ができるジュエリー。これはまさに、現代のジュエリーの在り方を予言しています。詳細はYouTubeのInside CHANEL 「CHANEL and the Diamonds」をご参照ください。

それ以降、マドモアゼル シャネルがジュエリーをデザインすることはありませんでした。彼女の没後長い時間が流れ、ついに1997年、シャネルのファイン ジュエリーが誕生しました。さらにその10年後の2007年、ヴァンドーム広場にジュエリー ブティックを開き、1932年以来2度目となるハイジュエリー コレクションを発表しました。下の写真は、その際にパリのリッツホテルの会場で撮影した、1932年制作の「コメット」のブローチです。当時のリリースに、「私がダイヤモンドを選んだのは、小さくても、最も高い価値を持つものだから」というマドモアゼル シャネルの言葉が綴られていました。発表会で聞いた話では、1932年に発表されたダイヤモンド コレクションの中で、現存するピースはこれ1点のみとのことでした。

手にとってみると、拍子抜けするほど軽い!それもそのはず、星形のフレームにセットされたダイヤモンドは、全面を埋め尽くしてはいないのです。ミニマルにそぎ落としたゴールドにセットされた、大粒のダイヤモンド。それ以外のスペースは、いわばシースルー状態です。そのことによって、重いゴールドの台座にダイヤモンドをびっしりとセットした、20世紀前半の重厚なジュエリーのイメージを完全に払拭しています。当時のジュエリーは豪華さを競うもので、立派ではあるけれど、重くてつけ心地の良くないものが主流でした。ハイジュエリー とはそんなもの、という旧時代のお約束にとらわれている職人たちに、マドモアゼルの視点を理解してもらうのは、どんなに大変だったことでしょう。
このピースを服にコーディネートした時、ジュエリーだけが主張しすぎることなく、全体のバランスが美しく調和します。さらに抜群の軽やかさは、何よりも女性の味方です。マドモアゼル シャネルが、このブローチを手もとに残していた理由が、なんとなくわかるような気がします。

ダイヤモンド コレクションの発表に際して、マドモアゼル シャネルは、ジュエリーの見せ方にも独創性を発揮しました。ヘアスタイルを整え、メイクアップを施したマネキンにジュエリーをつけて、プレゼンテーションしたのです。このことから、あくまでも女性の着用シーンを前提としていることが伝わってきます。ハイジュエラーのお約束通り、黒いベルベットの上にディスプレイされているだけでは、どのピースも、具体的なイメージが湧いてこないように思います。

現存する写真やデザイン画を見ると、作品ひとつひとつに込められたモダンなコンセプトが、強く胸に迫ってきます。これは彼女が、新しい時代を象徴する女性ーー自分の足で立っていく女性ーーが、自分を美しく見せてくれるパートナーとして選ぶジュエリーを念頭において創作したから、ではないでしょうか。もし第二次大戦が起らず、もう一度マドモアゼル シャネルによるハイジュエリーが発表されたとしたら、どんな作品を見ることができたのでしょうか。想像は尽きません。

80年以上も前に創造された、女性の視点による、女性のためのジュエリー。その復刻版に、いま会いに行きませんか。

⚫️マドモアゼル プリヴェ展 (LINE公式アカウントからの予約が必要)〜12/1 11:00〜20:00(最終入場19:30) 入場無料
@B&C HALL. 品川区東品川2-1-3

成瀬浩子

WRITER : Hiroko Naruse

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