ドイツ流誕生日の迎え方は 日本とは真反対!?

先月、隣国オーストリアまで足を伸ばしちょっとした週末旅行を楽しんだ。チロル地方のスキーリゾートで有名な街、キッツビュールという所へ行ったのだが、スキーにはまだ早く、目的は友人の誕生日のお祝いに二泊三日で出席することだった。

いい大人がお誕生日会とはまた大層なことを、と思う人もいるかもしれないが、誕生日の持つ意味合いはヨーロッパと日本とではだいぶ違う。これは私もこちらに住み始めてから初めて知ったことだ。私は日本にいる時には、プレゼントを催促するようで自分から職場などで誕生日を言い出さなかったが、ドイツではまったくその様子は異なる。まず誕生日になればそれを公言し、職場だったら手作りのケーキやシャンパンなどを持って来て同僚にふるまうのだ。つまり、日本ではお誕生日を迎えた人が一方的に祝われるが、ドイツではその逆。お誕生日の人が日頃世話になっている感謝の意を周囲の人々に伝える、という意味合いが強い。

プライベートでももちろん、家族や友人を招いてパーティをするのが普通で、特に40歳、50歳などキリのいい節目の年の誕生日は盛大にやる人が多い。中には招待リストの作成から始まって数年がかりで準備する人も少なくない。キッツビュールでの誕生日会もかなり手が込んでいた。私の友人マリオンは(そうは見えないが)今年で70歳。あまり派手なことは好きではないので、誕生日会をしないことも考えたと言うが、「70歳で健康だし、子供や孫に恵まれ、仕事も充実している。こんなに恵まれているのは家族やこれまでの人生で出会った友人たちのおかげだと思い、その感謝を伝えるべきだと思ったのです」。

私たちが泊まったアパートメントホテル。築後400年は経っているシャーレ(山小屋)だが、中身はすべてリノベートして、一流ホテル並みの設備が整っている。

プログラムは金曜日の夜、現地に着いた時から始まった。まず、彼女の山の別荘でアペロ(食前酒)と軽い食事。招待客50名ほどはほとんどがミュンヘンやベルリンから来ているので、それぞれにホテルの手配もされていて、夜も更けた頃それぞれの宿に。翌日は遅めのスタートで揃って3時間ほどのハイキングを楽しみ、昼は山の上のレストランで昼食。夜、再び街のレストランに集合し、誕生日のディナーが開かれた。ここでは孫や子供たち、彼女の夫のスピーチがあり、それぞれがマリオンとの隠された秘話や彼女に人となりがよくわかるエピソードを披露。マリオンも70歳を迎えての心情をスピーチ。上述のコメントはその一節だ。それぞれが帰途につく翌日にも、歴史あるキッツビュールの街をガイドツアーで巡り、全てのプログラムは終了。楽しい時間を三日間に渡って共有したことで、招待客は初対面同士でも随分と打ち解け、名残惜しい最終日になった。こうして友人同士が親しくなったり、家族が友人らから当事者の別の側面を見つけたりできるのも誕生会ならではの副産物だ。

友人のお孫さんの可愛らしいスピーチ。おばあちゃんが大好き。ミュンヘンっ子なので、バイエルン地方の民族衣装を着ている。

 

3人のご子息たちもそれぞれの思いをスピーチで。

 

誕生会では招待客はそれぞれ大仰でないプレゼントを持参するが、金銭的なことで言えば招待する側の方の負担がはるかに大きい場合が多い。それでも誕生日にもてなしや言葉で感謝を伝えるというのは、祝ってもらうだけの日本にはない発想で、キリスト教に根ざすものなのか、ヨーロッパ全般にこうした傾向があるようだ。思えば、日常の暮らしでは友人や周囲の人に改まって感謝する機会はなかなかなく、誰かの人生を振り返るのも、日本だと極端な話、ご本人が亡くなった時くらいしかない場合も。それだったら、こんな誕生日のあり方を日本でも考えてもいいかもしれないと思うのだ。

最終日にはガイドツアーでキッツビュールの街を散策。右側の女性が誕生日会を主催した友人のマリオン。コーチングなども行う精神療法士としてバリバリ活躍中。

 

これまでこちらでいろいろな誕生日に招かれたが、みなそれぞれに工夫を凝らしているのも楽しい。ある友人はビオの野菜を作っている大きな温室を借りきり、ドレスコードは農夫だったし、ディスコをテーマにした友人の誕生会には、ネットで見つけた安いアフロのカツラを被って参加したっけ。ちなみにこの友人はプレゼントを辞退し、そのかわりに有志の方には彼女が推奨するある動物の保護活動をしている団体への寄付を呼びかけていた。それぞれの人生の軌跡や人柄が出る誕生日会は素敵だ。

WRITER : Ayako Kamozawa

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