竹久夢二が描いたジュエリー

東京ステーションギャラリーで開催中の「夢二繚乱」展に行ってきました。お目当ては、夢二が大正末期〜昭和初期に描いたジュエリー。ポスターの真ん中にも、薬指にリングをつけた着物姿の女性がコラージュされています。アイキャッチ画像は、その女性をズームアップしたものです。七夕を題材にしたオリジナル(cf 下の写真)には「LONG ENGAGEMENT」の文字が。この絵が描かれた大正15年ころ、ハイカラな女性の間にはすでに婚約指輪という存在が知られていたのでしょう。夢二が活躍した時代は、それまでの和装に加えて洋装が広がり、モダンガールが脚光を浴びるなど、日本の女性のファッションがスタートした時期。夢二に描かれた女性は、当時の最先端の装いを身につけています。これを見逃すわけにはいきません。

じつはこの時代の日本のジュエリーに、これまで私はあまりなじみがありませんでした。しかし昨年横浜美術館で開催された「ファッションとアート 美しき東西交流展」で初めて現物を見る機会があったことで、興味を持つようになりました。

夢二の絵に登場するジュエリーには、センターに大きめのオーバル型の石を飾ったリングが多いのですが、これは和装と洋装のどちらでもつけられるとの理由で、当時の日本女性にも人気だったということでしょう。「美しき東西交流展」の出典作品の中から、夢二の絵のイメージに近いと思われるリングのサイドをアップで見てみると、シャンクからアームにかけて、繊細な細工が施されています。金属部分が華奢な曲線のためか、ハイカラ美人の優美な横顔のようにも思えます。センターストーンのオパールの色は、夢二の絵のリングと同じ、ほのかにピンクががった淡いベージュ。どことなく和の香りがするのは、作り手によるものでしょうか。かんざしや帯留めなどを主に手がけていた飾り職人が、明治以降にジュエリー制作に転向したというのが定説です。たしかに写真のリングからは、アールヌーボーと和が融合したような雰囲気が感じられ、着物にも似合いそうです。

当時の最先端の女性を描いた夢二の絵が掲載されていたのは、「婦人グラフ」「令女界」などの女性誌。これらを購読していたクラスの女性たちが、ジュエリーに親しんでいたように思います。しかし現在では、それらのジュエリーに触れられる機会はほとんどありません。いったいどこに行ってしまったのでしょうか?その理由は、第二次大戦中にジュエリーが供出対象になっていたため、個人の手もとにはほとんど残っておらず、その上空襲による火災もあって、良い状態で保管されているものは極めて少ない、ということのようです。

日本のファッション黎明期ともいえる時代に愛されたジュエリーがほとんど現存せず、わずかに残った品から、当時の職人の技を推測するしかない、、、戦争がこんなところまで影を落としているとは! 昭和初期にもてはやされた夢二の絵も、その後戦争の渦に巻き込まれていきます。ジュエリーだけでなく、文化の継承を中断してしまう理不尽な出来事を、二度と起こしてはならないと思います。

展覧会では夢二の、アートディレクター的な側面も感じられます。装幀やレイアウト、文字のフォントまで、自身の絵の見せ方に徹底的にこだわっていたことも。彼の絵のモダンさは、単なる表面上のことだけではなく、自身の本質から生まれたものだったんですね。初めて目にする楽譜集や子どものための絵本も、印象的でした。

「夢二繚乱」展@東京ステーションギャラリー  〜7/1(日)

成瀬浩子

WRITER : Hiroko Naruse

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