もうひとつの「時の結晶」

現在、東京・国立新美術館で開催中の「カルティエ、時の結晶」展。そのオープニングにあわせて、カルティエのクリエイションの背景を探るエキシビションが、10月14日まで開かれています。期間中に、メゾンが貴重な財産として継承に力を入れるメティエダール(芸術的職人技)の匠が来日し、その制作の一環を観客の前で披露してくれるーーそう聞いた時、これはどうしても行かなくては、と決心しました。

特に会いたかったのは、カルティエが2010年に開設した、グリプティック(宝石彫刻)に特化した工房の指揮をとる、フィリップ・ニコラ氏。彼は、メートルダール(フランスの人間国宝)の称号を持つ名匠です。台風19号襲来前日の10月11日午後、読みが当たって(?)観客は通常の半分以下。最前列で彼の説明を聞くことができました。会場に入ると、沢山の美しい鉱石が並んでいます。「この棚は、私のアトリエを再現したものです」とニコラ氏。「私はいつも石に触れていたい、と思っています。なぜなら、すべては石から生まれるからです」彼の言葉は、まるで「石の哲学者」のように感じられました。

彼の話は、自身が制作した作品と、その素材となった石を見せることから始まりました。たとえば恐竜の骨が化石化して岩のようになった素材に、インスパイアされて誕生したブローチ。モルガナイトの石の形に着想を得て制作された、リアルな花のリング。ブラックジャスパーのクールで力強いイメージを際立たせる、エメラルドの眼を持ったパンテールのブレスレットとリング、、、次々に登場する見事な宝石彫刻に、目を丸くするばかりでした。彫刻用の工具の先端につけるブローチと呼ばれる部分は、彫刻を施す素材ごとに違うものを用いるそうです。すべて手作りなのが、いかにも伝統的な技法らしいですね。

ニコラ氏の話に出てきた作品の中で、とくに心に響いた一点がありました。それはアリゾナで発見された、6700万年前のオークの木でできたジュエリー。オークは化石化して、岩のようになっています。その岩にインスパイアされたニコラ氏は、オークの葉をモチーフにしたデザインに用いることで、素材にもう一度新たな命を吹き込みました。それが、アイキャッチ画像のピースです。
一方下の画像は、原石の特性を活かす、もうひとつの制作方法。原石の形をそのまま用いたルベライトの花の、美しくない部分を直彫りで削って、完璧な作品に仕上げます。「この方法は、いわば引き算の芸術です。自分のエゴ(考え)を捨てるやりかたですね」と彼は淡々と語ります。どちらの方法が適しているのかは、素材となる石が示唆しているのでしょう。

グリプティックは、起源を古代まで遡ることができる希少な技法で、ユネスコの無形文化遺産にも指定されています。「人は古代から、石への彫刻を続けてきました。その人と石の歴史を、繋いで行きたいのです」とニコラ氏は語ります。「ノートルダム寺院の焼失は、単に建物を失ったことにとどまらず、フランス人自身の記憶が失われてしまったことが、大きな損失です。先ほど歴史を繋ぐという話をしましたが、今こそ何を継承したいのかを自問すべき時なのではないか、と思っています」と。さらに続けて、「現在私はカルティエのアトリエの中で、グリプティックの工房で5名の弟子を指導しています。彼らはとても優秀なクラフツマンなのですが、継承という点において、考え方の違いを感じることもあります」
ニコラ氏の率直な発言を聞いて、なんとなくピンとくるところがあり、思い切って「もしかして、継承すべきことは、テクニックよりも心の部分とお考えですか?」と尋ねてみました。すると「そうなんです、重要なのはテクニックよりも心。石と対峙する時は、心で美しさを見出し、愛をもって形にしていきます」との答が返ってきました。さらに「クリエイションにあたっては、それまでの経験をすべて忘れて、一から始めるように、と弟子たちに伝えています。新しいものを創造する時に必要なのは、教えられた形を再現することではなく、まず自分がめざすジュエリーの精神を定めることなのです」

長い年月をかけて育まれた石に彫刻するという歴史的な技法を、その背景を含めて次世代に継承したいと願うニコラ氏の話を聞いて、これは「カルティエ、時の結晶」展のコンセプトに通じるところがあるのでは?と思った私は、「開催中の展覧会をどうご覧になりますか?」と質問してみました。すると、彼らしいユニークな答が返ってきました。
「じつは最初に話を聞いた時には、よくわからなかったんです。結晶したら、そこで固定されて、時が止まってしまうように感じたんですね。しかし実際の展示を見て、納得できました。過去、現在、未来が繋がって、響き合っています。「今」の時間と永続性の橋渡しをする展覧会は、おそらく世界で初めての試みではないでしょうか」と。
ニコラ氏は宝石彫刻を通して、その橋渡し役を長年担ってきました。そしてこれからも続けていくでしょう。彼が先人たちの想いと対話しながら創り上げた作品こそが、もうひとつの「時の結晶」に違いない、と私は思います。

「LES MOMENTS CARTIER ART DE FAIRE」
〜10月14日(月・祝) 10:00〜17:00
@21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー3
入場無料

成瀬浩子

WRITER : Hiroko Naruse

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