空飛ぶダンディ、サントスがみた夢

先月以来、折をみては資料の山と格闘しています。そんな中で、行方不明になっていた本を発掘しました。タイトルは「空飛ぶ男 サントス-デュモン」。時計に興味のある方なら、ピンときたかも? そう、カルティエのサントス ウォッチが登場します。ジュエリーやウォッチには、誕生の背景に特別なストーリーが秘められていることが多いのですが、中でもこの本は、とくに感銘を受けた一冊です。今回読み返してみて、改めて強く感じるところがありました。

ここに描かれているのは、19世紀末から20世紀初頭のパリで活躍したブラジル人飛行家の、史実に基づいたストーリーです。とはいえ、重々しさはありません。以前にこのブログでアニメーション映画「ディリリとパリの時間旅行」にふれたことがありますが、あの中で誘拐された少女たちの救出に使われた飛行船を操縦していたのが、サントス−デュモンでした。「プティ サントス」の愛称で呼ばれた彼は、当時最も注目された飛行家であり、同時にファッションリーダーでもありました。写真の高い襟(ハイカラー)のシャツと、ブリムを下ろした山高帽が、伊達男サントスの代名詞。このスタイルは、パリの社交界でも大流行したそうです。彼はまさに、時代の寵児だったんですね。

アルベルト・サントス−デュモンは、ブラジルの大富豪一家に生まれました。コーヒー王と呼ばれた父の死をきっかけに、サントス少年は家族とともに先祖の地フランスにやってきたそうです。成人後、自身の設計による機械で空を飛ぶ夢を実現すべく、パリで活動。やがて飛行船での制限時間内のエッフェル塔周回トライアル1位となり、その後一時は世界初の飛行機による記録保持者と讃えられたほどの功績を残しました。のちに世界初の記録は、アメリカのライト兄弟が飛行機の特許申請をしていたため、それに伴う飛行実験の時期が3年早かった、という理由で訂正されました。(通信手段が整っていなかった当時、アメリカとヨーロッパの間には大きな時差がありました) が、ライト兄弟の実験が非公開だったのに対して、サントスの実験はすべて公開されていることから、彼が無欲さゆえに世界初の称号を逃してしまった、と惜しむ声があります。なぜならサントスは飛行機の特許を申請するどころか、設計図を公開し、空を飛ぶ夢を世界の誰もが共有できるようにしたのです。

このくだりを読んで、私はサントスが何を考えていたのかを知りたい、と思いました。たしかにライト兄弟は歴史に名を残していますが、もしかしたらサントスには、そもそも「特許をとる」あるいは「名を残す」という考えはなかったのかも?と、頭をよぎりました。また見方によっては、彼は粋で誠実な生き方を貫いた人なのでは?とも。さらに、じつはサントスこそ、外見と中味が一致した、真のダンディなのかもしれない、、、などと想像をかき立てられました。
サントスの浮世離れした行動は、むろん大富豪だからできたこと。しかしただの金持ちの道楽ではなく、振舞いからは本人の強い意志が感じとれます。現代にも自分の発見や発明に関する全てを公開して、後進に道を開く科学者がいますが、彼もそんな人だったのかしら?と、ここでハッと我にかえり、何を信じたらいいかが見えなくなっている現状と照らし合わせると、自分の信じる生き方を貫いたサントスが、とてもまぶしく見えます。

サントス−デュモンは、どんな時にもエレガンスを重んじる紳士だったと伝えられています。たとえば飛行船の中での食事を優雅にこなせるように、自宅でも不安定な状態での訓練を欠かさなかった、というエピソードも。最初は自宅の天井からテーブルと椅子を吊るし、そこで食事をとったそうですが、すぐに天井が壊れて断念。次に非常に脚の長いテーブルと椅子を特注し、友人との食事会にも用いていたそうです。(画像がピンぼけで申し訳ないのですが、こんな感じ↑を想像して下さい)

この一風変わった食事会に招かれた友人のひとりが、ルイ・カルティエでした。ある時彼は、サントスが飛行中に時計を見ることができないため、自分のタイムが確認できないことを知ります。当時の男性用の時計はすべて懐中時計でしたから、上着のボタンを外して内ポケットから時計を取り出さないと見られない。操縦中のサントスには、そんな余裕はありませんでした。この問題に取り組んだルイ・カルティエが、解決策としてたどり着いたのが、世界初の実用的な腕時計でした。メカニカルなイメージのスクエアフォルムに、視認性の高い文字盤とレザーストラップを備えたピースは、モダンで簡潔な美しさによって、新世紀の到来を告げるかのようです。試作第1号の時計は、ただちにサントスに贈られたそうです。
(写真の時計↓は、初期のサントス ウォッチ。第1号もおそらくこれに近かったのでしょう)

Cartier Collection by courtesy of Cartier

その後もサントスは飛行機の開発にうちこみ、22号機まで完成させました。しかし1910年ころに、難病の筋硬化症を発症。追い討ちをかけるように、彼を悲しませる事件が起こります。彼が公開した飛行機の設計図をもとに戦闘機が製作され、飛行船とともに第一次大戦に使われたのです。平和主義者のサントスは心を痛め、やがて鬱状態に。家族によって、戦争を避けるためブラジルに移されますが、そこでも民衆の抵抗運動を抑圧するために、政府が軍用機を使っていました。サントスは「飛行機を戦争に使わないように」と、多数の知識人や著名人の署名を集めて政府に直訴しますが、黙殺されてしまったのです。そして‘32年、療養中のホテルの近くで起きた空中戦を目撃した彼は、「自分のせいで、兄弟どうしの殺し合いを招いてしまった」と自ら命を絶ってしまいました。

サントス−デュモンの発明による最後の飛行機になってしまった、ドゥモアゼル号。↑ その翼は日本製のシルク、機体は竹でできていたといいます。極めて軽量かつコンパクトで、サントスはこれを折りたたんで車に積み、気の向いた場所から飛び立っていたそうです。そして、時折レストランや友人宅の庭に不時着?し、コーヒーブレイクを楽しんでいたと。その姿を思い浮かべるだけで、心が浮き立ちませんか。空を飛ぶことの心地良さや満足感を、ひとりでも多くの人に知ってもらいたい。皆が幸せな気分になることで、世の中から争いが消えて平和になってほしい、という純粋な願いが、サントスを空を飛ぶ夢へと駆り立てたのではないでしょうか。
愛機ドゥモアゼル号の佇まいからは、サントス ウォッチに共通するものが感じられます。それは単なる装飾に留まらない、機能美を備えているからでしょう。現代に通じる普遍性を持つ時計と、その着想源となった人物の物語は、来るべき時代にも輝きを失わないはず、と私は思っていますが、はたしてどう受け止められるでしょうか。

※ 文中にクレジットのない画像は、「空飛ぶ男 サントス−デュモン」より

成瀬浩子

WRITER : Hiroko Naruse

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