ソットサスがジュエリーによせた思い

10月に東京・六本木の新国立美術館で開幕する、「カルティエ、時の結晶」展の発表会に行ってきました。今回の展示は1970年代以降に制作された個人蔵の作品が中心だそうで、初公開のものが多く、どんなジュエリーや時計が一堂に会するのか、とても楽しみです。
これまでカルティエは、日本で3度大規模な回顧展を開催しています。なかでも私が折にふれ思い出すのが、世界巡回展の一環として2004年に京都の醍醐寺で開かれた、「エットレ・ソットサスの目がとらえたカルティエ宝飾デザイン」展です。この展覧会を見たことで、肩の力を抜いてジュエリーと向き合えるようになりました。

ソットサスは、20世紀を代表するデザインの巨匠です。といっても2004年当時の私には、恥ずかしながら彼の作品について、オリペッティのタイプライターと、メンフィスでの活動くらいの知識しかありませんでした。この展覧会は、彼がカルティエ コレクション(メゾンが過去の作品を買い戻し、制作された当時の状態に復元して保管。総数は現在では数千点に及ぶ)から約200点を選び、会場構成まで手がけたもの。ソットサスが責任編集にあたる展覧会という話を最初に聞いた時、ソットサス=派手でエッジィなイメージを抱いていた私の頭の中は、「?」でいっぱいになりました。なにしろ、1995年に庭園美術館で見た日本初の展覧会「カルティエ コレクション 絢爛のジュエリー フランス宝飾芸術の世界」展は、その名の通り超王道のクラシカル路線でしたから。


さらにもうひとつ驚いたことは、会場が京都の醍醐寺ということでした。このお寺についての私の予備知識は、「豊臣秀吉の醍醐の花見」程度。しかし私が知らなかっただけで、醍醐寺は1100年以上の伝統を守りながらも、着々と革新をとげていました。200万坪に及ぶ広大な敷地に点在していた重要文化財の数々を、長い年月をかけて「霊宝館」に安置。2003年に新設された大展示室では、ご本尊の薬師如来を中心に部屋の周囲に仏像を配置し、真ん中の広いスペースを芸術的な用途に解放する、という画期的な試みが行われていました。さらに訪れてわかったのですが、仏像は高い位置に置かれているのではなく、大きなものは床と同じ高さに、小さなものも見上げることなく人の目線の高さに安置されていました。このことで、仏たちがより身近な存在に感じられました。(ちなみに2006年、醍醐寺は世界遺産に登録されました)

背後に仏たちの気配を感じながら、そしてソットサスが何を見せてくれるのかという期待に胸をふくらませながら、大展示室の会場に入ると、そこには静謐な暗がりの世界が広がっていました。非常灯が目ざわりになるくらいの暗さ、といえばおわかりいただけるでしょうか。ガラスばりの黒っぽい展示ケース50点ほどがランダムに並び、その中にライトをあびたジュエリーがきらきらと輝いています。ジュエリーは(仏像と同様に)人の目の高さにあって、1点だけがディスプレイされたボックスと、数点が組み合わされたボックスもありました。ジュエリーはすべて、通常の展覧会のようにテーマごとや年代別に並べられたわけではなく、ソットサスの感性によってコーディネートされています。有名な作品だけでなく、初めて見るような小品をいくつか組合わせたディスプレイがクール!またジュエリーのデザイン画が数多く展示されていたのですが、その選び方と見せ方ーー例えば制作年代や様式が異なるデザイン画をグラフィカルに並べたり、デザイン画の一部をクローズアップしたりーーにも、彼一流のセンスが光っていると感じました。

暗がりの会場で、ボックス型の展示ケースに作品をディスプレイするという手法によって、観客の視線は外界から区切られ、展示されている作品だけに集中することになります。通常の宝飾展のお約束の説明文は、端に小さく添えられているだけ(笑)。その状況から、ソットサスが望んでいるのは、掛け値なしのジュエリーそのものと静かに向き合って、そこから何かを感じとってほしい、ということだと思いました。ほの暗い中に浮かび上がるジュエリーをじっと見つめていると、ひとつひとつが語りかけてくるような気分になります。その言葉を聞き逃さないようにしているうちに、時が経つのを忘れて、今自分がどこにいるのかもわからなくなりそうでした。
この展覧会は2002年にベルリンのヴィトラ ミュージアム、2002〜2003年にミラノの王宮美術館での開催を経て、日本にやってきました。その後2004〜2005年には、ヒューストン美術館で開催されています。世界中のどこでも、どんな環境の下でも、すべての観客に同じ体験ができるように、計算し尽くされた構成に脱帽です。

ソットサスの演出は、私の乏しい想像力をはるかに上回っていました。展覧会のすべてが、自由でダイナミック。それを通して、ジュエリーに限らずデザインの本質にアプローチするには、まず自分がまっすぐに対象に向き合うことだと、気づかされました。観客がジュエリーと存分に対話できるように、彼が用意した容れ物は、暗闇とミニマルの極みともいうべき黒い箱。その引き算の発想から、彼がカルティエのジュエリーデザインをレスペクトし、優れたデザインだけが持つ純粋な美を見極めるべき(石の輝きのみに価値があるのではない)、という一貫した考えのもとで、展示作品と対峙していることが伝わってきました。このことが、それまでジュエリーを見る時になぜか身構えてしまっていた私の、「ジュエリーは特別」との思い込みを解いてくれました。

当時ソットサスはすでに90才を超えていたと思いますが、それまであらゆるデザインの可能性に挑戦してきて、その年齢に達したからこそ到達できた境地が、この展覧会だったのかもしれません。


展覧会のメインビジュアルの、暗闇の中で黒人の少女がカルティエ コレクションのヘッドジュエリーをつけ、目を見開いた写真。これもソットサス自身が撮影したそうです。(ここでも「黒」が重要な役割を果たしています)
少女の目は、少し怯えているようにも、何かを期待しているようにも見えます。「それは、ジュエリーと相対することで自身の心を覗き込むことになる観客全員の目であり、私自身の目でもある」ソットサスは、そう語っているのではないでしょうか。展覧会の開催時期は、ちょうど春。運が良ければ、会場の「霊宝館」を出たところで、満開のしだれ桜を見ることもできました。最高の舞台となった会場や季節の設定を含めて、私にはこの展覧会が、ソットサスが人生の最後にジュエリーに捧げた、最大の賛辞のように思えてならないのです。

過去に創られた作品でありながら、そこに込められた普遍性ゆえに、時代を超えてクリエイターの魂をインスパイアし続ける、カルティエのジュエリー。この秋の展覧会の、「時」に着目した新しい展開に期待しています。
「Cartier、Crystallization of Time(カルティエ、時の結晶)」
2019年10月2日〜12月16日
@新国立美術館 企画展示室2E

成瀬浩子

※ 醍醐寺の写真はお寺のウェブサイトより、「エットレ・ソットサスの目がとらえたカルティエ宝飾デザイン」展のカタログとジュエリーの写真は古本スカラベさんのウェブサイトより転載させていただいております。

 

WRITER : Hiroko Naruse

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