時代を映す鏡

ここに1枚のポスターがあります。敷石を投げる女性の姿と、「美はストリートにある」とのメッセージから成るポスターは、1968年のフランス五月革命の際に制作されたもの。五月革命は五月危機とも呼ばれ、パリから始まった体制に抗議する若者たちのデモ行動がきっかけとなって、その後の社会を変えた大事件でした。インターネットどころか携帯電話さえもない時代、街角に貼られたポスターは、若者たちの連帯感を強めるのに役立ったそうです。
(このポスターのクレジットをご存じの方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。2018年にパリのレコール ボーザールで開催された、五月革命時のポスター展に出展されたうちの一枚です)

先日亡くなられた高田賢三さんの追悼番組を見ていたところ、彼のインタビューに五月革命の話が出てきました。最初は軽い気持ちでデモを見物に行った賢三さんでしたが、現場を目の当たりにして、今こそ新しい価値観が求められている、と実感なさったと語られていました。それをきっかけに、古い記憶がよみがえってきました。
ずいぶん前の話になりますが、文化出版局のハイファッションやミセス編集長を歴任された久田尚子さんに「パリ支局時代にいちばん記憶に残っている思い出は何ですか」と伺ったことがあります。それに対して久田さんは、急に改まった表情で「五月革命の時にパリにいて、そこで起きたことをこの目で確認できたこと」とおっしゃいました。道路の敷石をはがして投石するデモ隊の若者を見た時、直感的に「時代は変わる」と感じた、と。そう、あのポスターのように、若者たちが階級社会に全力で闘いを挑んでいたのです。

おそらく五月革命の現場に居合わせた人々全員が感じたように、1968年を境に、若者による新しい時代が幕をあけました。ファッションの世界ではプレタポルテが誕生し、ひと握りのデザイナーが流行を決める時代は終わりました。それでは、ファッションよりもさらにステイタスの象徴とみなされていたジュエリーは、どうだったのでしょうか。
五月革命と同じ1968年の秋に誕生したのが、ヴァン クリーフ アンド アーペルの「アルハンブラ」です。ファーストモデルの写真を見ると、それまでの宝石を頂いたジュエリーとは一線を画した、ゴールドだけでできた四つ葉のクローバーモチーフを連ねたネックレス。一見素っ気なくも見えるこのロングネックレスが、当時のトレンドだったボヘミアンルックにぴったりと合って、大ヒットしました。
じつはこのモチーフは、イスラム文化に端を発する、ヴェネチアゴシック様式の影響を受けています。ファッションの潮流が、さまざまな国の装い(エスニック)に向かうちょうどその時に、創業時から世界中を旅して着想を得ていたメゾンの感性がジャストフィットした、ということではないしょうか。それにしても、時代の空気とメゾンのDNAを融合し、今までにないピースを創り上げた制作者(デザイナー?)の腕前は、見事のひとことに尽きます。
その結果ブティックには、それまでの顧客の中心だった富裕層の奥さまたちとは毛色の違った、スタイリッシュな若い女性たちが集まったそうです。ファーストモデルのデザインは、「ヴィンテージ アルハンブラ」(cfアイキャッチ画像)として、今もなお受け継がれています。

上とアイキャッチ画像は「Alhambra」(Edition Xavier Barral)より
(C)Van Cleef and ;Arpels

1970年代に入ると、カルティエにも新たな動きが。プレタポルテに相当するライン「レ マスト」を、共通のコンセプトで統一されたブティックで展開したのです。取り扱いアイテムは、ライターに始まり、ウォッチやジュエリーにも広がっていきました。なかでも「マスト タンク ウォッチ 」は、ファッションデザイナーのイヴ・サンローランのお気に入り。香水「リヴ ゴーシュ」発売の際の広告写真ーーこの時計だけを着けたサンローランのヌードーーは、世界中にセンセーションを巻き起こしました。「レ マスト」はジュエリーとウォッチに、それまでなかったエッジィな感覚を持ちこんだのです。
さらにケースの素材にゴールドではなく、メルヴェイユ(特殊な金メッキ)を施したシルバーを用いることで、手に入れやすい価格を実現したこともあって、世界中の若者の間で多くのファンを獲得しました。
その後も、それまでは隠すべき存在だったビスをデザインに取り込んだ「サントス ウォッチ」や、恋人の腕から離れないようにビスで留めつけるコンセプトを持った「ラブ ブレスレット」など、次々とヒットが生まれています。それらが現在のカルティエの基礎となっていると言っても、過言ではないように思います。

上の画像は「les must de Cartier」(Edition Assouline)より
(C)Cartier

こうやって調べてみると、時代の空気を映すのは、ファッションだけではないことがわかります。ジュエリーもまた、社会の変化を敏感に感じとり、作品に反映してきました。とくに「アルハンブラ」は、制作過程と社会情勢が同時進行し、シンクロして生まれた作品のように感じます。若者たちが恋愛や言論、フェスティバルを自由に謳歌する姿から、VCAは「ジュエリーの需要がなくなったわけではなく、時代と共に楽しみ方が変わってきただけのこと」と、いち早く新しいスタイルを提示したのです。

時代が変わる時、ジュエリーはそれを映す鏡です。新型コロナ禍が収まった後、社会も大きく変化するはず。(すでに変わり始めていますね) そこには、どんな価値観を持ったピースが似合うのでしょう。新たな出会いを、ワクワクしながら待っています。

成瀬浩子

WRITER : Hiroko Naruse

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