まだ見ぬ遥かな国を夢みて

新年早々、2度目の緊急事態宣言。なにやら暗雲が立ち込めていますが、一日も早く消え去って、穏やかで明るい年になりますように!そんな願いを込めて、遥かなる国にインスパイアされたクリエイションと、それに着想を得たジュエリーを題材に、ひとときの妄想を楽しみたいと思います。

昨年末、シャネルのハイジュエリーコレクション“ル パリ リュス ドゥ シャネル”が来日しました。これはファイン ジュエリー クリエイション スタジオ ディレクターのパトリス ルゲローが手がけた新作で、マドモアゼル シャネルが思い描いたロシアにイメージを求めています。コレクションのシンボルは、マドモアゼルのアパルトマンにあって、ロシアを象徴するといわれる双頭の鷲を戴く鏡。ユゲロー自身が描いたドローイングが、発表会の会場入口とカタログの表紙を飾っていました。


(C)CHANEL

20世紀初頭のこと。マドモアゼル シャネルは、恋人のディミトリ パブロヴィッチ大公と親友のミシア・セールを通して、ロシア革命から逃れてきた、多くの芸術家や貴族と知り合いました。たとえばディアギレフ率いるバレエ リュス、音楽家のストラヴィンスキー、シャネルNo5を手がけることになる調香師エルネスト・ボー、などなど。さらに貴族たちのファッションーー服に施されたロシアの伝統的な刺繍やレースなどのハンドクラフトが、マドモアゼルのデザインに大きな影響を与えることになったのです。亡命貴族の女性たちを雇い入れてシャネル専属の刺繍の工房を作ったほど、マドモアゼルは「ロシアに夢中」でした。

ロシアと宝飾界のつながりは深く、これまでも多くのジュエラーがロシアを題材にしたピースを発表してきました。しかしながら従来の作品はすべて、たとえば雪の結晶モチーフのように、一般に浸透しているロシアのイメージを踏襲しています。今回の「マドモアゼル シャネルが想像したロシア」をコンセプトに据えたコレクションは、そうした流れにのらない、異色の存在だと思います。とりわけマドモアゼルを熱狂させたというロシアの手仕事に着想を得たデザインが、印象に残りました。たとえば民族衣装に由来する「ルバシカ」(日本ではルパシカとの呼び名が一般的)と名付けられたネックレスには、手の込んだ刺繍やレースを思わせる装飾が施されています。それらのさまざまな装飾が融合して、ロシアを彷彿させるひとつのイメージを創り出しています。民族衣装の詰まった衿もとを思わせる、大ぶりのネックレスに集約された見事なハンドクラフトの技に、時を忘れて見入ってしまいそう、、、大胆さと繊細さが共存するデザインに、ビザンチン風の華麗な装飾とシンプルなリトルブラックドレスを同時に愛した、マドモアゼル シャネルの姿が投影されているように感じます。


(C)CHANEL

「労働は名誉を傷つけることではないと、女性たちに教えたのはロシア人よ。我が大公妃たちは編物をしていたわ」(クロード・ドレ著「CHANEL, SOLITAIRE」)と、マドモアゼルは語っています。じつは自身は、生涯を通して一度もロシアを訪れたことがなかったそうです。彼女の心の中のロシアは、あくまでもクリエイションに対する情熱から生まれた、夢の国だったのではないでしょうか。また当時のヨーロッパにあって、どうしても乗り越えられない階級の壁を感じていたであろうマドモアゼル シャネルにとって、まだ見ぬ地はある種の理想郷だったのかもしれません。だからこそ、自分の心の中だけで大切にしたかったのでしょう。1963年にモスクワの赤の広場でシャネルのショーが開催された時も、彼女は動きませんでした。そのショーの記念にモデルたちが持ち帰った麦の穂が、ロシアを思って集めた品々とともに、アパルトマンに飾られていたそうです。

ハイジュエリーは、私を含めたほとんどの人にとって、手に入れることのできない存在です。だからこそ、自分の心を豊かにする夢として大切にしたい、と私は考えています。もちろん、世界中が新型コロナ禍に苦しんでいる今、そんな悠長なことを言っている場合ではない、という思いもあります。日常に愛用できるジュエリーが、現実的にどんなに心を癒してくれるかもわかっています。しかし、どちらが重要かを論じるのではなく、ふたつの相対する存在を知って、それぞれから何を吸収するかを考えられることがベストなのでは?と思うのです。
マドモアゼル シャネルは、心の中の想像力の翼に乗って、自分だけのロシアを創造しました。優れた作品は、次のクリエイションの起爆剤になります。今回のようにその連鎖の瞬間に立ち会うことも、最高の夢のひとつです。そこにはファッションとジュエリーの枠を超えて、新しい世界を拓く何かがあると信じて。

成瀬浩子

WRITER : Hiroko Naruse

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