バーゼル 最終回

2020年5月になった。

2月頃から世界中が新型コロナウイルス感染拡大という脅威に襲われ、全てが停滞する事態になってしまった。まだワクチンがないことによって収束の目処も立っていない。Stay homeが叫ばれ、皆じっと我慢の子だ。なんということだろう!

でも、バーゼルの思い出は未だに焼き付いているので、こんな時こそ書こうと思った。気持ちが晴れやかでないぶん、たった1週間だったけれどあの素敵な場所と時間を懐かしんでいる。

バーゼル滞在中、最終日まで晴天が続きラッキーだった。そんな中、鴨澤さんのパートナーのお兄さんが所有している山の家へ一泊でいくことになった。

もちろんプニも一緒だ。バーゼルから南へ車で3時間ほど行くところにあるヴェルビエ。イタリアとフランスに近い山岳地帯のリゾート地だ。どうやら隣国のイタリアやフランスからだけでなく、イギリスからも冬はスキー客ですごく賑わうらしい。憧れのスイスの田舎の別荘地!

途中、レマン湖(スイスとフランスにまたがる湖)に寄った。まだ夏の名残があるレマン湖のほとりを皆リラックスした様子で歩いている。湖からの爽やかな風を受けながらゆったり歩く。とても気持ちが良い。こんな時間をしばらく持っていなかったー。嬉しい。プニも楽しそうにあちこち寄り道している。

お昼は湖を目の前にしたインド料理のレストランに入った。観光地に美味いものなしはどこも同じだろうと気にしながらだったが、ここは違った。やったねと3人で美味しい料理を喜んだ。リゾート地を歩き慣れている鴨澤さんカップルの目利きが一緒であればこそだった。美味しい食事はさらに幸せにしてくれる!

レマン湖を後にして一路ヴェルビエに向かった。遠くにスイスの山々、ハイウエイを挟み広がる田園風景。窓の外に見える風景は絵に描いたようなスイスの美しい田舎だった。でも、そんな中にもヨーロッパの大企業などが大きな敷地にカッコ良い建物の工場や会社を構えている。スズキやトヨタの大きな看板もあった。ここは、海外の企業も誘致してスイスの経済力を支えているただの田舎じゃないぞと誇らしげに言っているようだった。

やっと山の麓に着いたと思ったら、そこから山の中腹に向かってくねくねとカーブした道路を長い時間登る。この別荘地は山の中腹にある。以前、観光写真で見たのと同じ!思い思いの好みで作られたログハウスが点在し、どの窓辺にも花が飾られている。小さいメインストリートにはレストランや食料品店や有名スポーツブランド店もあり、洒落た街だ。

私たちが泊まるのは大きいログハウスのアパートだ。日本でいうリゾート地の別荘マンション。入るとストーブのある広い居間。お兄さんがアートの仕事をしているので、え、という有名な作品が飾ってある。小さいけれどなんでも揃っているキッチン。ベッドルームが5つ。全部シャワー付き。これなら大勢の家族が集まっても十分滞在できる。スキーのシーズンには家族が集まって賑やかなのだという。

夕方になり、別荘から少し上にあるレストランを目指して出かけた。

随分上に行ったところにポツンと小さいレストラン!地元のご夫婦が作る美味しい田舎料理は暖かく疲れを忘れさせてくれた。すでにあたりは真っ暗で独特な山の静けさと都会には無い暗さに包まれる。天空には美しい星々。

次の朝も快晴!計画していた通りハイキングに出かけた。昨夜のレストランより少し上の方の緩やかな道をゆっくり歩く。下の方には別荘地が山の谷間の中腹に見える。遠くの青い山々と澄み切った空に身も心もほぐれる。プニは時々振り返りながらもどんどん先に行く。鴨澤さんとおしゃべりしながらの歩きは喘息持ちの私にも苦にならず、まさにアルプスのハイキングを満喫した。

途中、カウベルの音が谷間に響き渡るように聴こえてきた。何十頭という牛を牧人が放牧させている。牛たちが動くたびに首にかけられた大きい金物のべルがガランガランと鳴る。(音色が違うベルをつけて居るらしい!)その音は向こうの山まで届いてこちらにこだまのように返ってきて重なり合い、大きく素朴な音色を奏でとても気持ちが良い。

夏の間牧草地で過ごした牛たちは、秋になると麓の酪農家の元に戻されるという。それが「牧下り」というお祭りにもなっていて、華やかに飾られた牛たちが麓へ降りて行く。その様は立派で美しいに違いない。そして、こんな綺麗な牧草地で過ごした牛の乳は美味しいこと間違いないと思う。

山を下りる途中のレストランで(そこに一軒!)ランチをとる。これまたとても美味しい。海外からの旅行客らしき人もいる。様々な人たちが清々しい空気の外のランチを楽しんでいる。レストランの入り口にはエーデルワイスが咲いている。

日本にも素晴らしい自然と人の営みが残っているところはまだまだある。

でもここスイスのアルプスで雄大な自然と爽やかな空気、そこに暮らすことや訪れて楽しむことの素晴らしさに触れることができたのは本当にラッキーだった。

楽しいハイキングを終えて、帰路に着いた。遠くにアイガー北壁で有名なアイガーを眺め、首都ベルンを通過してその日のうちにバーゼルに戻った。

なんだか下界に戻る気持ちだった。

帰国の前日、鴨澤さんとまたライン川の辺りをのんびり歩いた。色々な話に花が咲く。朝行ってみたフリーマーケットで唯一買った皿の話から人生の話まで。

過去仕事を通じて何回か会ったことがある程度だったし、同世代ではないけれど、共感することも多く、親近感が湧く。だがベタベタするわけではない関係が心地良い。大人なのだ。そんな知り合いがいるなんて私は幸せだ。

帰国の朝、鴨澤さんの提案でフランス東部にあるロンシャン礼拝堂を見に行くことになった。コルビジュエがデザインした有名な礼拝堂だ。EU・ヨーロッパ統合により簡単に国境を越えてスイスからフランスへ。(余談ですが、EU統合の基となった思想、汎・ヨーロッパを提唱したリヒャルト・クーデンホフ・カレルギーは、旧オーストリア=ハンガリー帝国の伯爵ハインリヒ・クーデンホフ・カレルギーと日本人の青山光子の結婚で生まれた次男です。一度も日本に帰らなかった光子の評伝・クーデンホフ光子伝を昔読みました)

フランスの田舎町を進むとその先の小高い丘の上に礼拝堂があった。

青空の下、白い壁とおおらかな曲線が描く礼拝堂は、やはり美しかった。

建築好きなら誰もが知っているその姿は孤高でありながら、ヨーロッパのどの礼拝堂にも無い独特な優雅さを見せてくれた。新しいデザインの力だ。

内部に入るとちょうど礼拝が行われる直前だったので、そのまま立ち会った。

なにやら、日本人の若い人達がマイクや録音機のような装置をセッティングして待機している。そっと尋ねたら、礼拝堂の音の反響などを調査研究するために日本からやってきた東京大学などの学生達だった。

なるほど、カーブを描いた高い天井のその内部では、神父がマイクを使わないで説教をしていても聴くことに全く支障が無い。計算しつくされた音響効果なのだ。観光に来た人達も静かに聴き入っている。ごくシンプルなベンチが並べられた礼拝堂はオルガンと賛美歌で満たされて神聖でありながら、和やかな空気が流れていた。壁のあちこちに明かり取りのような大小の窓があり、内部の穏やかな明るさを作っている。高い天井の一部に作られた窓からは陽が射し、そこに置かれた机の上には聖書だろうか、読むことができる。1955年に建てられたここは、音と光が細部にまで計算されて包み込むような全体の美しさを作り出している礼拝堂なのだった。

こちらは絵葉書の写真

鴨澤さんがドイツに来た時に最初に訪れたのがこのロンシャン礼拝堂だったと言う。友人が来るたびにここには必ずと言って良いほど案内しているらしい。

もっともだと思った。連れて来てもらって良かったー。

 

感激のロンシャン礼拝堂から、夕方の帰国便に間に合うように鴨澤さんがそのまま車で空港まで送ってくれた。

短い滞在だったけれどとても充実した滞在だった。

仕事でも何でも無い一人の旅行が思い出深いものとなったのは鴨澤さんのおかげだ。本当にありがとうございました。

 

コロナ感染拡大で、旅行どころでは無くなった。人が世界を行き交う自由と喜びが分断されている今、その大切さが改めてよくわかる。

遠くにいる人達とも近くにいる人達とも普通に会える日常が戻りますように。

 

武田千賀子

 

前回までの記事はこちらから:

バーゼル旅行 その1

バーゼル旅行 その2

バーゼル旅行 その3

 

 

 

 

 

 

 

WRITER : Chigako Takeda

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