2019.12.06 jewerly
バーゼル その3
バーゼル滞在のメインイベントは、何と言っても、ヘルツォーク&ド・ムーロン(HERZOG & DE MEURON)のアーカイブが見られるCabinettを訪問したことだ。鴨澤さんの取り計らいで実現した。
ヘルツォーク&ド・ムーロンといえば、日本では東京青山のプラダの店のデザインで有名だ。
オフィスは、バーゼルの少しはずれにある元工場地帯に建てられたビルにある。この元工場地帯にはデザイン会社などが新しくオフィスを設置していて、そのどれもがすてきな建物だ。バーゼルの都市計画だろうか。その一帯の景観が目的に沿って造られているような気がする。バーゼル偉いなー。
彼らのオフィスビルもカッコ良い。
Cabinettでは、もはやH&Dの生き字引とも言えるプレスの女性が待っていてくれた。アーカイブすべてが天井までとどくガラス張りのキャビネットに並べられている。いつ、どこの、どんな経過で、どんな素材で、どんなデザインで、といったようなことがそれらを見ると想像できる。彼らが依頼を受けてから、試行錯誤を繰り返し、実行にいたるまでの過程が形として残っている。えー、本当はこんな素材でこんな形でこんな色で考えられたんだーと、知っている建築物の場合はその経過を想像できる。全く没になったデザインや造形、素材なども残している。多分これから必要になるのであろう素材のサンプルなどもある。ここは、彼らがデザインした世界中のすごい数の建造物の思考を目の当たりにすることができるすばらしい
場所だ。その一つ一つのストーリーを把握しているプレスの女性も誇らしげだ。将来、それらを展示する美術館を作りたいと言っていたが、その価値は十分あると思った。(撮影禁止でした!)
バーゼルの街には彼らがデザインした建物がたくさんあるが、将来バーゼルが誇る世界的な建築家として、街の遺産になることまで考えると、このアーカイブはとても重要だと思った。現に、彼らの建築を見て歩くことがちょっとした観光目的にもなっているので、バーゼルしいてはスイスの知的財産として考えると、彼らの功績はとても大きいのではないだろうか。
スイス出身の有名な建築家は、ル・コルビュジエ、マックス・フリッシュ、ピーター・ズントー、マリオ・ボッタなど凄い人たちばかりだ。それぞれが国内外で素晴らしい建築を残しているが、個人の才能が育まれる背景には、デザインを大切にする人々や国の意識が中世から今に至るまで脈々と生き続けているからなのではないかと強く感じた。そうでなければ、この小さな都市にデザインを大切にしたたくさんの建物が残らないだろうと思った。
その日は、鴨澤さんの仕事場の古巣であるドイツのヴィトラ・デザインミュージアムを訪れた。ここは、建築家を目指す人の聖地といっても良いのではないだろうか。日本の安藤忠雄はじめ、フランク・ゲリー、ザハ・ハディド、ヘルツォーク&ド・ムーロン、ジャスパー・モリソン、レンゾ・ピアノ、ジャン・プルーベ、バックミンスター・フラーなど、他にもたくさんの建築家がデザインした建物が広大な敷地の中にそれぞれの機能を持ちながら建っている。ここは、スイスに本社を置く家具の会社ヴィトラ社の工場敷地。
私が好きだったのは、シンプルの極みと言えるヘルツオーク&ド・ムーロンがデザイン(2016年)した、400点の家具を展示する
「ショウデポ」と呼ばれる建物だ。外観はプラダのデザインの真反対にあるデザイン。もうひとつは、ザハ・ハディドの「消防署」。ちょっとこわいくらいのシャープの極み。(1993年)東京オリンピックのスタジアムのデザインが実現しなかったことが本当に残念。世界に誇る日本の技術で彼女の未来的なカッコ良い建物ができたはずなのにとやっぱり思った。ご冥福を祈ります。
ところで、ヴィトラはドイツだけれど、バーゼルとの国境にあります。
その日の夜は、なんと、ヘルツォーク&ド・ムーロンで働く3人の若き日本人の建築家達と夕食をともにした。鴨澤さんの美味しい手料理をいただきながら楽しく話しがはずんだ。みなさん日本の大学で建築を学び(一人はアメリカのハーバード卒)、遠いバーゼルまでやってきて一生懸命働いている。日本人は優秀なので、重宝がられると聞いたことがあるが、本当にそうかもしれない。その話ぶりや内容からそれが伝わってくる。そして、日本では味わえないバーゼルの生活を楽しんでいる。ああ、ここでも日本人が活躍しているんだなあと、ちょっとした感慨を持った。(彼らの写真を撮るのを忘れました!)
先日、ヘルツォーク&ド・ムーロンで長年仕事をしていた日本人男性が帰国して建築事務所を構えているが、軽井沢に建てた別荘を見せてもらう機会に恵まれた。二軒の別荘はその土地の特徴と施主の希望を十分に満たした(施主の方がおっしゃっていました)すてきな家だった。建造物としての機能を発揮し、シャープかつ温かみのあるデザインは、やはり優れた会社で研鑽を積んだ人が作り出したものだと思った。
夕食を共にした彼らも、将来日本や他の国で活躍するにちがいないと思えた豊かで素敵な夜だった。
WRITER : Chigako Takeda