日常と非日常のはざまで

これからお読みいただく原稿について、もしかするとLast Danceのブログにふさわしくないのかもしれないと、1ヶ月近く悩みました。しかし最近になって「これを書きとめることで、読んだ人に何かを感じてもらえるかもしれない」との思いが強くなり、文章にする決心をしました。ジュエリーに関する話を期待なさっている方には、あらかじめお詫びします。

2月末に、ヘア メイクアップ アーティストの加茂克也さんが亡くなりました。
私はカモさんがモッズヘアで独り立ちした直後から1990年代の後半まで、おもにSPURのファッション撮影で一緒に仕事していました。個人的な付き合いはありませんが、撮影の場で遠慮なく本音で意見を交わせる、最も信頼できる仕事仲間のひとりでした。私が知っているカモさんは、まだ「世界のKAMO」になる以前。自分は今後どうやって立って行くべきかを、模索している最中でした。折しもファッション界はリアルクローズ志向になり、ハイファッションにもストリートの影響が感じられるようになっていました。そんな時代を背景に、当時ファッションページを作る側だった私がめざしていたのは、「日常の中の非日常」感のある写真でした。それに一番ぴったりくるのが、カモさんのヘアメイクだったのです。

カモさんの名前が世界に知られるきっかけなったのは、ジュンヤ ワタナベ コム デ ギャルソンのパリ プレタポルテ コレクションでした。その初期にカモさんの存在を一躍有名にしたのが、「ボンサイヘア」と呼ばれた、独特なフォルムのヘッドピースでした。言葉ではうまく説明できないのですが、ひとつのピースに丸みを帯びた部分とシャープで直線的な部分が混在し、分け目はジグザグ。その不思議なかたちを、海外メディアがパリで注目を集め始めていた東洋の神秘、盆栽に例えたのだそうです。実は当時、コレクション速報で「日本の盆栽にヒントを得たヘアスタイル」という記事を読んだ時、とても違和感を覚えました。なぜなら私が知るカモさんは、何かの形を見て、そのままヘアスタイルにする人ではなかったから。

ちょうど撮影で会う機会があったので、率直に「ボンサイヘアって、私には盆栽に感じられないんだけど?」と聞いてみました。すると「ああ、あれね。パリでそう書かれたみたいで、日本でもボンサイって言われてるけど、違うんだよね」との返事が。「じゃあ何であんな不思議なかたちになったの?」と私。それに対する答えは、想像を超えるものでした。
「うちの奥さんがね、頭に怪我して、傷口を病院で縫ったの。それに付き添ってて、縫い目を見たときに、お!これカッコいいね!と思ったのが始まりかな」
ボンサイヘアと呼ばれるヘッドピースのスタートは、奇妙なジグザグの分け目からだったのです。その分け目に似合う髪のボリュームを探したところ、ひとつの決まったかたちでは物足りないことに気づき、2つのフォルムをいろいろ融合してみた結果、それまでにないスタイルが完成した、と彼は説明してくれました。
しかも驚いたことに、彼は傷の縫い目に触発されたことを「いったん完全に忘れた」。そして「パリコレ前に新しいことを始めようとした時に、ひょっと思い出したんだよね」と。カモさんの頭の中には、感性がキャッチした刺激を、アイディアに熟成する装置でもついてるのかしら?と思ったことが忘れられません。

このように彼はいつも、身近な事柄に着想を得ていました。日常の風景にインスパイアされて生まれた小さなアイディアの芽を、自分の中で孵化して新たなかたちに昇華し、非日常のクリエイションとして送り出す。この作業を真摯に、飽くことなく繰り返していたのだと思います。作品の中には、一見奇抜な鳥や昆虫などを素材にしたものがありますが、決して奇をてらったり、話題作りのために使ったのではなく、全てが日常の延長線にある素材と捉えると、腑に落ちるように思います。これはあくまでも私の想像ですが、あの好奇心に満ちた目で、規則や常識にとらわれることなくまっすぐに対象を見つめ、自分の心に響くことを素直に感じとり、表現していたのではないでしょうか。「世界のKAMO」になってからも、ずっと。

日常と非日常の間を行ったり来たりしながら創作活動をしていたカモさんが、ある日垣根を飛び越えて、ひょいと非日常の世界に行ってしまった。私は、そう考えることにしました。
カモさん、若き日のあなたが見せてくれたクリエイションの一端を、後に続こうとする人たちに伝えますね。
Last Danceの展示会で会ったのが最後になってしまいましたが、さよならは言いません。いつもの仕事のときのように、「カモさん、おつかれ!またね」

成瀬浩子

※ 文中の画像は「KAMO HEAD」サイトより、アイキャッチ画像は「100 HEAD PIECES」より

WRITER : Hiroko Naruse

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