街の記憶

最近東京の街が大きく変わりつつあります。東京オリンピック開催がきっかけなのでしょうが、その土地ならではの香りを持った街並みがなくなっていくのは、ちょっと残念。そんな思いを抱きながら、緊急事態宣言中の表参道を歩いてみました。私にとって表参道〜原宿は、日本のファッションを世界レベルに導いた創造の原点と呼びたい特別な場所です。
商業ビルが並ぶ現在の様子からは想像しづらいのですが、この一帯はもともと、明治神宮の参道脇にできた住宅地でした。戦後ワシントンハイツ(現在のNHKから代々木公園の一部が米軍に接収され、将校の住宅が建てられていた)に近いことから、住宅地の中に教会や米軍向けの店が点在するようになりました。まるでリトルアメリカのような雰囲気に惹かれて、人が集まるようになったそうです。

1970年代になると、住宅地の中にポツポツとデザイナーのブティックができ始めました。ここにしかない個性的なプレタポルテが人を呼び、次第にファッションの発信地と認識されるようになります。表参道ぞいには1970年から、ビル建設用の石垣の地下室を改装したビギのブティックが。原宿交差点のセントラルアパートにはマドモアゼル ノンノン、神宮前3丁目にはニコルとピンクハウス、明治通りと神宮前3丁目の間には山本寛斎さんのブティックがありました。70年代後半、交差点から根津美術館に向かう通りにフロムファーストビルが建設され、コム デ ギャルソンがオープン。どのデザイナーのブティックにも、オンリーワンの魅力が溢れていました。明治通り沿いのラフォーレ原宿には新興マンションメーカーの店や、海外で流行中の服や雑貨をいち早く扱う店が並び、一方で本格的なフランスの雰囲気をテーマにしたパレフランスには、日本初のカルティエ ブティックが。このように表参道から原宿エリアは、インターナショナルな最新ムーブメントが肩をならべ、いつも新しい発見のある場所だったのです。

3月中旬、表参道ヒルズ前の歩道橋から参道を見下ろすと、、、緊急事態宣言中のせいでしょうか、交通量が少なくて、80年代前半ののんびりした気分がよみがえりました。日曜日には、原宿駅から表参道交差点までが歩行者天国として解放されていたことを思い出しました。車が消えて広々とした道を、わがもの顔で気持ちよく歩いたものでした。

表参道ヒルズの向かいに2月末にオープンしたばかりのエルメス表参道店は、今いちばん話題のスポットです。ユーモラスなディスプレイが施された大きなウィンドウに、表参道の風景が映り込み、一枚の絵を構成しているかのようです。現在の表参道には、銀座に負けないハイブランドが軒を並べていますが、このような海外ブランドラッシュがおきたのは2000年代に入ってからのこと。参道沿いに残ったお屋敷の跡が次々にハイブランドのビルに変わっていくのを、少々複雑な思いで眺めていました。しかしその結果として、多様なブランドが混在することで、表参道のブティッククルージングの楽しみが増したことは確かでしょう。経済活動も大切です。個人的には、時代が変わっても、表参道は常に新しい価値観を生み出す場所であってほしい!(すでに確立された価値観を確認するための場所ではなく)と願ってやみません。

創造の原点としての表参道を語るとき、真っ先に思い浮かぶのが、コム デ ギャルソンです。先日川久保さんのインタビュー記事を読み、新型コロナ禍に加えて、社会に蔓延する事なかれ主義という2つの理不尽な敵に対峙して、苦しみながらも諦めず創作に邁進なさっていることを知りました。その時気づいたことがあります。これまでトップランナーの川久保さんの背中を追いかけているつもりだったのですが、知らず知らずのうちに私は、沿道の観客になっていました。先頭に立つ人に甘えていたのかもしれません、、、たとえ最後尾にいようとも、せめてランナーでいなくては!自分にできることはほんの小さな事だけれど、それを全うして自分なりに責任を果たそう、と決心しました。皆がその意識を持つことで、小さな変化を起こし、それを積み重ねることが大切なのでは?と思い始めています。
「ファッションとは「現状に疑問を持つ」ものかもしれません」という川久保さんの言葉が、心の中でリフレインしています。反骨精神から生まれる力が、世界レベルの「これまでに見たことのない」クリエイションに結実してきたのですね、、、先日発表されたばかりの秋冬の新作も、潔い表現に強い決意が込められているように感じました。このような不退転の覚悟から生まれた作品の数々があったからこそ、それを孵化した表参道の名が世界に知れ渡ったのでしょう。

やがてアフターコロナの時代がきて、たとえ目に見えるもの(街並み)が変わっても、そこに流れる見えないもの(スピリット)を断ち切ることはできないはず。それをひとりひとりが心に刻んで共有し続けることで、時代に向き合う新しい風をおこせないでしょうか。街とそこに宿ったクリエイションの記憶を伝え、精神を引き継いでいくことから始めたいと思います。

成瀬浩子

WRITER : Hiroko Naruse

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