古代エジプトの栄華は今どこに?

昨年のクリスマスシーズンにエジプトを旅した。東アフリカ沖のセーシェル諸島には行ったことがあったものの、アフリカ大陸には初めての上陸。小学生の頃、ツタンカーメンの秘宝が日本で公開されたこともあり、エジプト古代文明がちょっとしたブームだった。私も学校の図書館で本を借りて、ピラミッドやスフィンクスのことを夢中になって読んだものだった。だからヨーロッパに住むようになってから、いつかはエジプトに行ってみたいと思っていたが、アラブの春が起こってから常に政情が不安定で行く機会を逃していた。けれど、昨年はテロなど大きな事件が起きたという話も聞かず、行くなら今、と思ったわけだ(残念ながら、カイロ滞在中にピラミッドのあるギザで爆発物によるテロがあり、ベトナム人観光客3名とエジプト人ガイド1名が亡くなる事件があった)。

旅の目的はもちろん、古代文明の遺跡を見ることだ。今回は初めてということもあり、カイロを起点に、ルクソールに飛び、ルクソールからアスワンまでは昔ながらの帆船でナイル川をクルーズするという王道のルートをとった。ピラミッドに王家の谷、数々の神殿など見所はたくさん。

ギザのピラミッド。実は市街地から近く、遠くにはカイロにある高層ビルも見える。

ギザのピラミッドより前に王家の墓が作られた遺跡、サッカラのジェセル王のために作られた神殿。紀元前2500年前前後に建てられたというが、今見てもモダンな設計に驚かされる。

ルクソール神殿。オベリスクや巨大な彫像、建物内の林立する円柱に圧倒される。

 

観光スポットの紹介はガイドブックに任せるが、紀元前3000年や2000年前など作られた建物や彫刻が、途方もない年月を経ても、ありし日の偉容を湛える、その壮麗さや精巧さに感嘆する一方で、古代エジプトと現代エジプトをついつい比べてしまう。

まず目についたのが、市街地でも田舎でも至るところに散らかるプラスチックごみ。あまりにもどこにでもあるのが当然で、こうした環境に生まれ育った人は、それらを拾って捨てるという発想もないのだろう。カイロでも少し中心からはずれれば、祖末な住宅が広がる。農村地帯から都市部に流入する人口に住宅戸数が追いつかず、まだ建設中かあるいは半分廃墟のような建物に人々が住み着いてしまうからだという。古代エジプトの至宝を集めたエジプト考古学美術館に行けば、掃除夫たちは観客の目の前でも、まったく掃除をせずにおしゃべりに興じて油を売っているという始末。そして、残念だったのが、おそらく中国ででも作られているであろう、あまりにも祖末で工夫のないお土産物がどこでも一律に売られていることだ。もともと旅先であまり物を買う習慣はないが、それにしても今回10日間ばかりの旅で、何も一度も買わなかったのは初めてだ。

私の乗ったナイル川クルーズの帆船。4泊5日、シェフを含めたクルーが手厚くもてなしてくれた。

 

船を係留した付近の村の人も集まっての船上でのパーティ。エジプトの人は皆、歌やダンスがとっても好き。

 

かつて世界一の高度に洗練された文明を誇った国の栄華はどこに行ったのだろうか。アラブの春で一度は民主化の夢を見た人々は、軍事政権に弾圧されて多くを諦めているようにも見える。ピラミッドの周辺で物売りを30年近くしているという男性によれば、アラブの春の失敗の後、物価は3倍に跳ね上がり、観光客を狙ったテロが起きたために観光業は壊滅的となり、人々の生活はとても厳しいものになったそうだ。現在は多少なりとも落ち着きを取り戻したため、多くの人は再び革命が起きることを恐れているという。日々の生活を考えれば、民主化より軍事政権の方がまし、ということか。

それでもナイル川クルーズの先々で立ち寄った村々には、子供たちの明るい笑顔があり、それが救いだった(冒頭の写真参照)。エジプトはナイルの賜物。いつの日かエジプトがその栄光を取り戻す日は来るのだろうか。

 

農村の道端で縄を編んでいたおじいさん。ナセル大統領時代に一握りの土地所有者から小作への土地譲渡があった農村は比較的豊かで平和な印象を受けた。

ナイルの行く先々で見かけた、川から水をひくためのポンプ小屋。日本政府の援助で建てられたもの。この一帯ではナイルが唯一の水源であり、こうした施設は人々の生活に直接役立っている。たまにはいいことするね。

 

WRITER : Ayako Kamozawa

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