潔く逞しい難民の学生たち

100万人。日本で言えば仙台市の人口そのままに匹敵する数の難民が1年間でドイツに入国したというセンセーショナルなニュースが流れたのは2年前のこと。この問題はドイツ国内のみならずEU内でもさまざまな軋轢をもたらし、10月に行われたドイツの総選挙にも大きな影を落としたが、私の住む地域はドイツ西南端の田舎だからだろうか、実生活で難民の存在を感じることはほとんどなかった。

そんなとき、友人が運営に携わる財団のプログラムで、難民の人々との夕食会が催され、参加する機会に恵まれた。集まって来たのは、シリアやイラク、ガンビアなど中近東やアフリカの国々から逃れて来た人々。若い人が多いのは、みなこの財団が支援するオンライン上の大学教育プログラムKiron(カイロン)で学んでいる学生たちだからだ。

おいしそうなアフリカの煮込み料理。

シリアから来た男子学生はほうれん草とチーズのパイを作ってくれた。

どの料理にも野菜たっぷりでヘルシー。

財団付設のキッチンを借りて、料理は彼らが担当。ピラフやスパイシーな煮込み料理、ベジタリアンなど各国の家庭料理がずらりと並んだ。この財団では通信制で孤独に勉強せざるを得ない彼らのために、集まって勉強し情報交換できる場を提供しているが、家族や友人たちから離れて生活している彼らに、一緒に食事をする機会も設けたいと、この日が企画されたのだ。

食事は食卓を囲む一人一人の自己紹介からスタート。ほとんどの参加者はドイツに来て半年から1年ほどなのに、彼らのドイツ語の流暢なことにまず驚かされる。彼らは必ずしもドイツを目指して来た人ばかりではなく、むしろ祖国の公用語である英語やフランス語が堪能なため、イギリスやフランスに渡りたかった人が多い。それが言葉につくせぬ困難な旅を経てやっと辿り着いたのがドイツで、やむを得ずゼロからドイツ語の習得を始めたのだ。警察によって強制的に割り当てられた地域に住む彼らには国内での移動も容易ではない。その限られた条件の中で、祖国では内乱や貧困、政治的混乱などのため望んでもできなかった勉学——機械工学やITテクノロジーなど——に嬉々として打ち込んでいる。ガンビアから来たニィヤマは、女性の人権問題に取り組むためカイロンで政治学を学ぶジャーナリスト。祖国では英語で教育を受けたという彼女も当初はイギリスに渡ることを望んでいたというが、すでにドイツでもジャーナリストの活動を始め、メルケル首相にインタビューをしたというからすごい。彼女に限らず、祖国に戻れない、ここで生き、道を拓いていくしかないと覚悟を決めた人々はかくも潔く逞しい。それに引き比べて、普段は英語で暮らし、いつでも日本に帰れると思ってドイツ語すら上達しない我が身はなんと甘いことかと思わされる。反面、帰れる国、曲がりなりにも平和が保たれている国に産まれた幸運にも思いが至るのだ。

難民の収容施設。どこに行くにも遠い町外れにぽつねんと建っている。

彼らとの出会いの後、二つ隣りの町外れにあるフェンスで囲われたプレハブの簡易な建物が難民収容の施設だと気付いた。アフリカ系の人やヒジャブを被った人を時折、周辺で見かけていたのに、これまでは彼らが難民であるかもしれない、という発想がなかった。無関心であることは愚かしい。大半の日本人がそうであるように。

WRITER : Ayako Kamozawa

BACK