アテネで初めて開催されている ドクメンタ14

今年はアート関係者にとって、例年にも増して忙しい年だった。ヴェネツィア・ビエンナーレがアートの年だったことに加え、5年に1度開催のドクメンタ(ドイツ・カッセル)と10年に1度開催のミュンスター彫刻プロジェクト(ドイツ・ミュンスター)がほぼ同時期にスタートしたからだ。そのため6月上旬から中旬にかけ、美術館の館長やキュレーターらはそれらに加えアートバーゼル訪問と、忙しくヨーロッパを駆け回ったのだが、今年、3月から例外的にアテネでも開催されているドクメンタまで見た人はさすがに少ないようだ。

私はと言うと、前回に書いたギリシャ旅行にかこつけて、ちゃっかりオープニングを見ることができた。冒頭の写真は、そのプレスコンファレンスのスタートの模様。市内のホールで開催されたのだが、緞帳が上がると同時に真っ暗な壇上から多くの人々の叫び声が聞こえ始め、照明が点灯されると、それがドクメンタ・アテネ展を作り上げた人々であると気付く仕掛けだ。

続いて登場したのが今回の芸術監督(毎回、新しく専任される)、ポーランド出身のアダム・シムジック。彼はアテネで開催することに至った経緯をこう述べた。ちょうど芸術監督に専任された頃、ギリシャの債務不履行でドイツとの関係が悪化しており、アートを媒介して共に手を携えたい、理解し合いたいという思いがあった。それを聞いて、古代ギリシャ劇のコロス(複数の役者が歌のように劇の筋や登場人物の気持ちを代弁する。大衆の声なき声の代弁とも言える)のような幕開けに合点がいく。彼にとっては、ギリシャの人々と共になにかを作り上げること自体に意味があったのだな、と。

スピーチしているのがアダム・シムジック。正直、本家のカッセルでのドクメンタも評判よくないです。

 

その意気込みはよし。さて、それで結果(展示アートの内容)はどうだ、となるとまた話は違う。ドクメンタはスターアーティストの寄せ集めになりがちなヴェネツィア・ビエンナーレとは異なり、歴史的に政治色、メッセージ性が強いと言われる。アテネでもそれは踏襲されていて、独裁政治や人種差別、LGBT差別などに対する批判が込められた作品が多いのだが、それがなぜドイツではなくアテネで見せる意味があるのかと言うと、うまく説明できる答えはなかなか見つからないだろう。展示場所もアクロポリスや遺跡で、とはいかなかったらしく、美術館の中で展示するだけなら、“ギリシャならでは”とは言えない。

 

Piotr Uklanski and McDermott&McGough「The Greek Way」ドイツを非難するのにヒトラーを持ち出すのはヨーロッパ人の常套手段。それを容認するのもドイツの常套手段。

 

ザイール(現・コンゴ)出身のTshibumba Kanda Maluluがベルギーによる残虐な植民地支配当時を描いた一連の作品。いわゆるアールブリュットの作品だが、ドキュメントのように丹念に事実を描いている。このほかにも昔のフィルムなど戦争や独裁政治の被害者を映し出したドキュメント作品が見られた。

 

Lois Weinbeigei「Debris Field」。オーストリア・チロルにある両親の農地から出て来た洋服や写真、手紙などその地に昔暮らした人々の歴史の片鱗を展示。ギリシャに限らずどんな地も人々の暮らしの堆積があると思わせる、私が唯一、ギリシャで見る意義を感じた作品。

 

プレスコンファレンスの開催や展示の設営でも数々のミスが見受けられ、それもこれも初めてだから仕方がないとも思えるが、果たして次回があるのかと言うとそれもほぼないだろう。そうなると、多額の資金をドイツやEU から引き出して開催し、海外などからの来場者によって多少、ホテルや飲食業界が潤ったとしても、それで本当にギリシャを理解することになるだろうか。

平行して行われていた数々のイベントのひとつとして、舞台演出家であるアダム・シムジック夫人が手掛けたダンス作品を観た。そのなかでダンサーがギリシャ人なら誰でも知っていると思われる古い歌謡曲を歌ったのだが、繰り返されたフレーズが頭に残った。「私を忘れないで」。

ヨーロッパ人はヨーロッパ文明の発祥の地としてのギリシャに、根源的な憧憬を抱いているという。それがギリシャが財政破綻しようが、もっと働くことを拒否しようが、見捨てられない真の理由だともいうが、「私を忘れないで」と歌うギリシャに対する甘いノスタルジーこそが、ドクメンタのアテネ展であるように私には思えた。

 

会場のひとつである美術館から見たアクロポリス。こういうところで作品が見たかった。

 

 

 

WRITER : Ayako Kamozawa

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