小林麻美さんとイヴ・サンローラン

最近、小林麻美さんのメディアへの再登場が話題に上っています。「クウネル」誌上で、自身のコレクションから選んだサンローランの服を素敵に着こなす彼女を見て、着る人とデザイナーの関係性について考えてきたことを、改めて見直す機会を与えてもらったように感じています。
じつは私は新米編集者のころ、小林麻美さんとファッション撮影のお仕事でたびたびご一緒していました。(佇まいの素敵さはもちろんですが)麻美さんの骨ばった長い手足や鎖骨の美しさは、まるで長沢 節先生がお描きになるデッサンのようでした。そのカッコよさといったら!

麻美さんは、私服もおしゃれでした。撮影では彼女にモデルとしてさまざまな服を着てもらうのですが、残念なことに、帰る時の服がいちばん彼女にフィットしていました。私服は”サンローラン リブゴーシュ”を主体に、シンプルなTシャツやニットを組合わせたコーディネートが多かったように記憶しています。編集部の先輩たちの「やっぱり麻美ちゃんにはサンローランが似合うのね〜」というため息まじりの賞賛の声を聞きながら、うんうん、とうなずいてましたっけ。その頃から私は、「デザイナーが服に込めた理想や意図を、着る人がどう表現するか」という正解のないテーマを、おぼろげながら認識し始めました。そして、小林麻美さんとイヴ・サンローランの関係に、ひとつの理想の形を見出したのです。

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1980年代に小林麻美さんは、「いい女」として一世を風靡する存在でした。しかし正直なところ、ご本人を間近に見ていた私は、その男性目線で十把ひとからげ的な表現に、少々違和感を覚えていました。素顔の彼女は、キャリアの面でも「モデル」「タレント」「女優」といった従来の枠組みにはまらない、多面的な女性でした。さらに他の人と決定的に違っていたのは、麻美さんには男女の性別を超えた、アンドロジナスな(長沢先生のデッサンを思い浮かべてください)魅力があったことです。多少なりとも彼女自身を知ればこそ、ひとつのカテゴリーだけに括りたくない、とも思っていました。

いっぽうイヴ・サンローランは、男性の衣服であるタキシードを女性のファッションに持ち込んだデザイナーとして知られています。ヘルムート・ニュートンによる、80年代を象徴する一枚の写真が、彼の気持ちを代弁しているようです。そこに描き出されたのは、存在感のある肩のラインを持ったシャープなタキシードジャケットと、深い胸開きから覗く柔らかそうな女性の肌のコントラスト、、、デザイナーが目指していたクロスジェンダーな表現は、麻美さんの少年性と女性を併せ持った身体と心によって完璧に体現されたのではないでしょうか。また逆の立場で考えると、「小林麻美」のイメージは、イヴ・サンローランなくしては成立しなかったと思います。

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これまで服について語られることは、デザイナーからのメッセージという形で一方的に発信されたものが大半でした。しかし私は、小林麻美さんのように「相思相愛ともいうべき服に出会い、ずっと着続けた人」からの発言にも興味があります。たとえばひとつのスタイルに対して、作る側と着る側それぞれの思いを検証することができたら、ファッションと人との関わりを問い直すチャンスになるかもしれない、とも思います。もし麻美さんに会える機会があったら、今後はどんな服を着て、どんな生きかたを現していきたいのか。そしてその服にコーディネートするとしたら、どんなジュエリーがふさわしいかを、ぜひうかがってみたいですね。

成瀬浩子

WRITER : Hiroko Naruse

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