牛とエイリアン 〜「ギーガー・ミュージアム」「ギーガー・バー」を訪ねて〜

H・R・ギーガーと言えば、映画「エイリアン(79)」のデザイナーとして知られるスイスのアーティスト。
昨年5月に惜しくも他界した。
生物と機械が融合した、「バイオメカノイド」と呼ばれる彼のクリーチャー・デザインは、ジャンルを越えて世界中に無数のフォロワーを持つ。
性と死、暴力やテクノロジーにまつわる様々な表象が溶け合う彼の表現は、しばしば、20世紀の文明人が直面した、不安や恐怖の象徴などと評される。
そんなギーガーの功績を讃える美術館、「ギーガー・ミュージアム」が、スイスはグリュイエール村という、小さな山あいの村にある。
昨年6月、その美術館と、美術館に併設する「ギーガー・バー」を訪ねた。

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グリュイエール村は、スイス西部のフリーブール州にある、中世の面影を色濃く残す村である。
この村は、グリュイエールチーズの原産地として知られ、なだらかな起伏と石畳が織りなす村の景色は、のどかでどこか可愛らしく、ギーガーの悪夢のようなビジュアルイメージとは、とても結びつかない。

村の中に突如開いた異界のような、このギーガー・ミュージアムがオープンしたのは、1998年。
1990年に、自身の回顧展をグリュイエール村で行ったギーガーは、この村をとても気に入り、当時売りに出されていたサン=ジェルマン城を手に入れて、この美術館を建てた。

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美術館は、外観こそ中世風だが、ひとたび中に入ると、床から壁から照明に至るまで、徹底したギーガー・イズムで貫かれている。
「エイリアン(79)」「スピーシーズ(95)」といった彼の代表作関連の絵画・彫刻作品を始め、シュルレアリスムの影響を残す初期作品から、膨大なラフスケッチ、暖簾をくぐって鑑賞するR指定作品などが、館内にひしめく。

禍々しい人骨や、性器や胎児、そして無機質な機械類が複雑に絡み合いながら、退廃的且つ未来的なイメージと、太古の神殿のような質感が奇妙に同居する、彼の作品群。
湿度と冷たさを宿す絵画作品は、間近で見ると、エアブラシによる細やかなディテールが、全体にブラーのかかった状態で描き上げられているのがわかる。
画集で見るのとは違った発見が多くあり、胸が踊る。

そして、美術館に併設するのが、彼のデザインによる「ギーガー・バー」である。
バブル期には日本にもあったというギーガー・バーは、その名の通り、どこを切ってもギーガー趣味で構築された、これまた村の趣とは断絶した異空間である。

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骨で出来た家具と言えば、エド・ゲインや映画「悪魔のいけにえ(74)」が連想されるが、このバーは内装全てが骨である。
カウンターに備え付けられた巨大な椅子も骨。
壁面と天井を美しい曲線で繋ぐアーチも骨。
骨でないものがあるとすれば、それは双頭のビッグ・チャップ(「エイリアン」に登場する宇宙生物)を思わせる照明器具であったり、奥のテーブル席の後ろの壁を覆い尽くす、苦悶の表情を浮かべる無数の胎児であったり、といった具合だ。

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このバーを訪れたのは昼時だったのだが、興奮してシャッターを切り続ける私のような観光客もいれば、地元の老人達が上述した無数の胎児の埋め込まれた壁を背に、談笑しながらランチを食べていたりする。
黒のTシャツを着たガタイのいいお姉さんの出してくれるランチメニューは美味で、ザクザクに刻まれたチーズは流石はチーズの村といった味わいである。
映画「エイリアン(79)」の冒頭で、未知の惑星LV-426に降り立つノストロモ号のクルーみたく、未踏の地に踏み込む不安と興奮の錯綜した気分に浸れるのかと思いきや、村の平穏な日常と、客商売が当たり前のようにそこに並走していて調子が狂う。
ギーガーの遺影がさりげなく置かれたこのバーを後にして、村を去る。

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村の入り口となっている城門から、小高い丘の上にあるこの村の周囲の景色を、最後にもう一度見回してみる。
遠くに見える山の形はなんだか少し人工的な香りがして、滅び去った文明の、風化した巨大神殿のようにも見えてくる。
緑の大地と澄んだ空気と突き抜けた空、そして、奇怪に連なる山並み。
この村を愛したギーガーの想像力と、この土地の景色はどこかでシンクロしていたのかもしれない。

しかし、すぐ側には牛がいる。
民族衣装を着た老婆が露店でレースを編んでいる。
チーズ資料館が特産物の自慢をすれば、土産物屋は鈴を売る。

今日もギーガー・バーは、美味しいランチを振る舞うだろう。
夜になれば、酒好き達できっと賑わう事だろう。

もう二度と、あの村を訪れる事はないかもしれないが、ふとした拍子に、牛とチーズと石畳で出来た中世の村のただ中に、ぽっかり開けた一人の奇才の遺した奇妙な世界の事を思う。

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WRITER : Yasuaki Adachi

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